岩井屋ブログ - 最新エントリー

 尊敬する経営者として小林一三がいます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E4%B8%89 私の鉄好きのきっかけをつくった阪急電車。小さい頃は、阪急京都線の特急電車の運転手になりたかったのです。阪急宝塚線終点にある、大好きだった宝塚ファミリーランドへ行くのが楽しみだった。  宝塚歌劇団のお姉さん方は阪急電車の社員です。小林一三の教えにより、電車の席はお客様の為の物。着席してはいけません。電車を降車する時は、ピカピカマルーン色電車にお辞儀をして、宝塚駅のホームを去り、花道を歩き、歌劇へと向かいます。そんな光景を見ていた、幼い日の私は、宝塚スゲーと思っておりました。  岩井屋がお世話になっている、ジャイロコンサルティング蠅梁臾撻劵蹈契萓犬帽イな経営者はいるか?  つづく
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お菓子の家

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iwaiya 2015-3-17 9:27
昨年12月初め、明治ホールディングス蠅粒主様よりお菓子5万円相当を寄贈して頂きました。量にしてミルクチョコレート120枚、紙パックジュース108本、ヨーグレット80個、プッカカップチョコ80個、
カールスティック60個!

しかしせっかく頂いたお菓子、すぐ食べてしまうのはもったいという訳で事務職員の話をきっかけにお菓子の家を作ることになりました。さっそく理事長のご友人であり設計士でもある東城学さんに「お菓子の家」を設計して頂き、東御清翔高校の工藤先生と茶華道部の皆さん、西沢祐工務店の東城芳春さんにもご尽力頂きまして昨年12月25日お菓子の家が完成致しました。

明治ホールディングスの澤田さんにもわざわざ東京からお越し頂き完成を共に喜んで下さいました。完成したお菓子の家には子供たちがさっそく入って大喜び♪お菓子も岩井屋のおやつとして提供させて頂き、1ヶ月程であっという間に完食です。

「お菓子の家」にご協力頂きました皆様、貴重な時間を私どものためにさいて頂き心より感謝申し上げます。 明治ホールディングス株主様には、夢のあるプレゼントを頂きまして大変感謝しております。有り難うございます。

今回ご協力下さいました株式会社 西沢祐工務店のホームページです。是非ご覧になって下さい♪
http://www.youhouse.co.jp/


以上、介護職員 T でお送り致しました。
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昨日、無料放送がありスティーブマックイーンの「ブリット」って映画がありました。 ハラハラドキドキしながら、観ました。 没後30年ってことでそんなに経つんだなって、自分の年齢51歳をヒシヒシと実感してしまいました。 俺たちの世代にとって永遠のヒーローです。岩井屋にも、「大脱走」のポスター貼ってあります。同じ世代の男性の方がきますと、必ずマックーンの前で立ち止まります。肺がん出亡くなったのは50歳の時、同じ位の年齢で、私も脳出血でどうなってたか分からなかったので、当時のマックーンの気持ちが少しわかるような気がします。
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健さん逝く「駅ステーション」

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iwaiya 2014-11-25 9:58
高倉健さんが亡くなりました。ぽっかり私の心に穴が空いてしまいました。健さんの映画の中で私No.1は『駅ステーション』です。 大人の男と女出会い。倍賞千恵子の居酒屋のシーン最高です。バックミュージック八代亜紀の舟唄がジーンときます。映画冒頭のいしだあゆみの「銭函駅」の列車の別れの敬礼シーン最高です。「北の国から」仲間俳優陣です。脚本は倉本聡。 また烏丸せつ子のシーンは国鉄時代の賑やかな留萌駅です。書き込んでるだけでも思い出します。 「銭函駅」なんて何もない駅ですが、小樽から札幌よりの少し外れた寂しい無人駅。情緒豊かな小樽の観光客の姿ある街と全く違います。 北へ向かう稚内方面への国道の分岐点辺りです。当時、私を含めたバイク野郎は、早朝フェリーにて小樽港に着き、札幌や釧路根室方面の道東行きと留萌経由サロベツ稚内方面の道北行きに別れます。 私はだいたい、小平、留萌、羽幌を通り北へ目指しました。通称おろろんラインです。 石狩平野を横断し、日本海の断崖を抜けると高倉健の故郷の設定になっている。雄冬岬。当時は国道トンネルがなく、ガタガタ峠道。冬季は峠は通行止になり、唯一増毛と雄冬を結ぶ交通手段は連絡船になります。高倉健は連絡船が出航するまで、増毛で宿泊します。私も何度か増毛館と言う古い旅籠で宿泊しました。 http://www12.tok2.com/home2/airtax04/rekiken24.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85_STATION 夏のバイクで幾度か、そして卒業旅行の春休み「北」はまだ冬でした。健さんの真似をして連絡船に乗船して雄冬へ行く為に増毛館に宿泊。映画と同じく日本海の荒海には勝てずに出航は無かったです。やはり倍賞千恵子がいる様な居酒屋は増毛にはなかったです。 「国誉」っていう造り酒屋がありました。かつてニシンで栄えた町です。その繁栄を色濃く残す町「増毛」です。「増毛」はとっても良い町です。高倉健さんがぴったりはまる町です。私大好きです。留萌本線終着駅です。高倉健が連絡船を待つ設定。倍賞智恵子と出会う場所それが「増毛」です。 また、留萌本線終着駅「増毛」を訪れてみたいです。 留萌本線の増毛駅。増毛駅再ブーム到来かな。 かつて愛国から幸福行きの切符が流行った頃、増毛駅の入場券も発売されました。薄毛の人の御守りがブームだったです。
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御嶽山噴火

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iwaiya 2014-9-29 8:37
御嶽噴火で、大変な災害になりました。こちらの浅間山も心配になってきました。私は小学校3年の二学期に大阪からか軽井沢隣りの御代田町に引っ越してきました。その住居のそばに「真楽寺」という浅間山噴火鎮静祈祷するために建立されたお寺がありました。引っ越して暫くして、浅間山が爆発しました。 http://kazeno.info/karuizawa/8-shi/8-shi-2-09.htm   当時、婆ちゃんも一緒にいて、住んでた家が揺れて、婆ちゃんが「浅間が爆発した、外へでろ」って叫んで、浅間山の方を見ると、赤い岩が転がってくるのが、見えました。もうダメかと思いました。だって家が揺れる、ガラス窓がカタカタ鳴る、外では爆発音がする。俺は子供心に思った事は、なんで長野県にきたんだろうって真剣に考えた。その頃、既に大阪の市バスはワンマンカーが当たり前だったが、こっちの千曲バスに乗ると、女性の車掌さんが、大きなガマ口を肩からさげ、次の停留所を大声で伝え、乗客のお金の両替をして、忙しく働いていた。それと浅間山荘事件。まだある、小学校へ行くとクラス名が松竹梅、3年松組、学年で1クラスしかなく全員で確か27名。24の瞳の山の中状況だった。カルチャーショック通り越してました。 後、驚いた事。「ごちそうさま」ではなく「いただきました」日本語的には食べた後の過去形になってるから間違いはないと思いうけど。
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