懐かしい留萌

新しいサボが入りました。

表 留萌行
裏 幌延行
留萌~幌延(羽幌線)
留萌はニシンと石炭で栄えた街。

かつて炭鉱があちこちにあり、採掘された石炭を留萌駅に集め、長い貨物列車で留萌線~函館線~青函連絡船で本州へ運搬していました。エネルギー革命により主役が石炭から石油に変わるまでは、の話です。
留萌は大変賑わっていたそうです。俺の転校してきた御代田小学校のストーブも石炭でした。なんで黒い石が燃えるんだろうって不思議に思っていたガキの時代です。当時の留萌駅には石炭車が集まり何両も連結される姿がありました。

石炭列車の写真

石炭車とは(wikipedia)

また留萌は小樽~稚内の中間点
でした。新潟小樽フェリーにバイクを積んで、最果ての稚内へ向かう真ん中辺りがちょうど留萌なんです。あと半分頑張るぞって稚内への道のりを急ぎました。
市街地手前の留萌川を渡る国道鉄橋を通るとホッとした記憶が残ってます。そんな思い出の街、留萌です。

それと大学の卒業旅行は海外旅行へ友達と行く予定でしたが、俺の金が無くなり、海外旅行中止になり、北海道へ変更になりました。それも卒業の時期ですから、2月だったと思います。高倉健さん主演の『駅 station』の舞台、雄冬へ行きたくて訪れました。

駅 station予告

そこへ行くまでは夜行急行『八甲田』でした。終点青森駅は雪の中でした。青函連絡船に乗船し、函館に入港して函館から札幌へ向かい、そして留萌へ。留萌から増毛そして連絡船で雄冬へというパターンのはずが、冬の日本海は人を寄せつけません。増毛館で三泊しましたが、時化で雄冬連絡船が出港しませんでした。高倉健への道のりは達成不能でした。
ちなみに友達はあきれ果てて先に帰ってしまいました。

増毛館

現在は雄冬には、国道に長大なトンネルが掘削されて、天候に影響されずにオロロンラインという絶景を通って雄冬へ行けます。

オロロンライン

♪上野発の夜行列車降りたときから青森駅は雪の中♪
そうです。名曲『津軽海峡・冬景色』の世界を味わってきました。

記憶が鮮明に残っています。『八甲田』はもちろん寝台車なんて乗れません。お金がないんですから。直角シート(普通車)です。

急行『八甲田』

急行八甲田に乗車した瞬間、陸奥への旅が始まるのです。
車掌サンが東北訛りなのです。ふるさとの訛り懐かし停車場の…。ここだけ覚えますが、こんなスタートでした。
八甲田車内放送  これは標準語です。

雰囲気はこんな感じです。
今は夜行列車ありませんが、当時は安く時間を掛けず(寝ている間に移動)が学生は当たり前の時代でした。

爺サン旅のたわ言でした。
こんなような懐かしい話が岩井屋では盛り上がります。

回想法

回想法は、高齢者が思い出をふりかえり、仲間や聴き手と分かち合うことで、喜びや満足感を感じ、かけがえのない自分を再評価し、孤独感をやわらげる方法です。 懐かしい映像を見ながら、わくわくしながら思い出を語る機会が増えることで、高齢者の自殺や孤独死を予防することができるでしょう。